仮初の探偵 -誕生編 ACT02-





1.自分の成すべきこと



 蓮子、私室――。

 蓮子のベッドにはメリーが眠っいる。メリーの身体中に、包帯で巻かれた、手当ての跡があった。
「メリー……」
 蓮子が心配そうに呟くと、メイドがメリーの額にある濡れタオルを取り替えながら言った。
「ご心配は必要ありません。先ほど申しましたように、ナノマシンが投与されているようですので、時間が経てば回復します。ただ、表面上の傷跡が残るかと思いますが」
 蓮子は心配の色を変えず、再び呟いた。
「メリー……どうして……」
 傷だらけのメリーが発見されたのは、今から数時間前のことだった――。

 九十九市内――。

 蓮子がこの街に来て、一ヶ月が過ぎた。
 料理長の所でのバイト帰り。メイドと共に客船からいつもどおりの、帰路をたどっていると、電子音が鳴った。
 蓮子は突然の音に驚いて、あたふたしだした。
「えっ? 何? 何の音?」
 すると、メイドが言った。
「宇佐見様のCOMPからのようですが?」
 聞きなれない言葉だったが、蓮子はすぐに把握した。
「コンプ? ああ、コンピュータね。だったらそう言ってよ」
 COMPは船長からもらったコンピュータだ。COMPを取り出し画面を覗くと、COMP内の雪ダルマのキャラクターが手を振っている。「着信アリだよ」と。
「着信……? 着信って言ったって、これは普通のコンピュータじゃないんだから、誰が連絡するのよ」
 疑問に思う蓮子に、メイドは続けて言った。
「客船の乗員なら、表示されるはずです。ということは、外部からの連絡ですが、この回線を知っているのは極僅か。部外者の可能性も考えられます」
 蓮子は警戒した。
「い、嫌ねぇ。部外者なんて、怪しい人なら、連絡する意味がわからないわよ」
 メイドも同意見だった。しかし、もう一つの可能性を指摘する。
「はい。ですから、宇佐見様を知る人物。その可能性から考えられることは一つ……」
 蓮子の顔色が変わった。
「まさか……メリー!?」
 蓮子はすぐさまリダイアルをかけた。
 しかし、通信はザーザーとノイズだらけだった。
「メリー! 聞こえる? 私よ。蓮子。宇佐見蓮子。応えて、メリー!」
 ノイズだけが聞こえるCOMPを、蓮子が諦めて、通信を切ろうとした、そのときだった。微かに声が聞こえた。
「……子……蓮子……今……どこ……に……」
 ノイズ交じりの中から聞こえた声だったが、辛うじて通信が出来る状態だった。
 蓮子が声を大きくしてメリーに訊ねる。
「メリー! 何処にいるの?」
 小さく微かに途切れ途切れだが、メリーの声が聞こえる。
「……蓮子……今から……境界を……早く……助けて……」
 返答はあった。蓮子は気を落ち着かせてメリーに訊ねる。
「わかった。今から行くから、心配しないで。場所は?」
 メリーは返答を続ける。
「場……所は……」
 メリーが場所を伝えようとしたときだった。ザーッとノイズが大きくなり、通信は途絶えてしまった。
「メリー!!」
 蓮子が大声をあげる中、メイドは冷静に判断する。
「宇佐見様。急いで現場へ向いましょう。GPSと逆探知機能を使えば、間に合います。それから、状況からすると、おそらく近くです」
 メイドがCOMPを求めると、蓮子は応じた。
「わかったわ。待ってて。メリー」
 メイドがCOMPを操作し、メリーの行方を追った。情報を頼りに、急いで二人は向かった。
 三十分後、臨海公園の木陰でメリーを発見した。
 しかし、メリーは衣服が乱れ、覗かせる肌から出血もしていた。
 蓮子は大声でメリーを呼び起こした。
「ねえ! しっかりして、メリー! 助けに来たよ!」
 メリーに反応が無い。取り乱す蓮子に対して、メイドは冷静だった。
 メイドはメリーの腕を取り、脈を調べながら、蓮子に言った。
「あまり大声を出さずに、宇佐見様。脈はあります。まずは事務所に運びましょう。話はそれからです」
 メイドはメリーを抱きかかえて、蓮子に提案する。
「先に事務所へ運びます。宇佐見様も急いで来てください」
 メイドと怪我人は否応に目立つ。蓮子は応じて、すぐに向かった。
 蓮子の頭の中はメリーの安否ことだけだ。自然に普段よりも足取りが早い。呼吸の乱れなど気にしたものではない。
 数十分後。事務所にたどり着いた蓮子は、大声をあげながらメイドを呼んだ。
「メリーは? メリーは無事なの?」
 息を切らしながら私室へ入ると、ベットには手当を受けたメリーが目に映った。メイドは頭を下げ、蓮子に柔らかい声をかけた。
「ご安心ください。今は眠っているだけです」
 蓮子はメリーに近寄った。メリーはすやすやと眠っている。身体には包帯やガーゼなど治療の跡があった。安心した蓮子は呼吸を整えながら、怪我の容態を訊ねた。
「怪我はひどいの?」
 メイドは、ゆっくりと応えた。
「軽症……とまではいきませんが、命に別状はありません」
 蓮子は包帯の巻かれたメリーの腕を取ると、確かに重症ではなさそうだった。メイドの言葉に偽りはない。
 メイドは一つ一つ容態を応えていった。
「骨折は無いようです。それから、痛みがあったようですから、重症ではありません。出血だけです」
 蓮子は心配している。
「でも、こんなに包帯だらけ。大丈夫なの?」
 メイドは「はい」と、はっきり応えた。加えて、メリーの手当の経緯も応えた。
「メリー様の身体のことなのですが、どうやら体内にナノマシンが投与されているようです」
 聴き慣れぬ言葉を耳にした蓮子はメイドに訊ねた。
「ナノマシン?」
 メイドは簡潔に応えた。
「極めて小さい医療ロボットです」
 蓮子は聞き返した。
「メリーの身体に?」
 メイドは詳しく説明した。
「どこで投与されたかは不明ですが、止血剤無しで、血が止まっています。それから、内部から治療しているとなると、下手に手を出せば、悪化する恐れがあります。私は消毒と包帯を巻いただけです」
 メイドの側にはメディカルキットがあった。医療用のディスポボウルや、ピンセットなど手術でもしそうだと蓮子は思った。逆に言えば、メイドが医療知識があるのだと思い、手当は安心できるものだと感じた。
 蓮子はほっとした様子で呟くように言った。
 メイドはメディカルキットを片付けながら、蓮子に提案した。
「宇佐見様は、メリー様に付いてあげて下さい。私は一度船に戻りますので」
 蓮子はメイドにお礼を言った。
「ありがとう。メリーを助けてくれて」
 メイドは粛々と頭を下げ、部屋を後にした。
 蓮子はメリーの側に寄り添って優しく言った。
「メリー……もう、大丈夫だよ。だから、今はゆっくり休んで……」
 メリーは応えることもなく、すぅすぅと呼吸する。
 蓮子は微笑んで、メリーの頭を撫でながらに付き添った。

「……様……見様……宇佐見様……」

 蓮子は寝ぼけ眼で応えた。メリーに付き添っている間に眠ってしまったらしい。
「う……うぅん……?」
 蓮子の目の前にはメイドの姿が映った。
「宇佐見様。メリー様の姿が無いようですが、ご存知ありませんか?」
 それを聞いた蓮子は、飛び起きてベッドを確認する。ベッドにはメリーの姿は無かった。
「そ、そんな……また居なくなったの……!?」
 メイドは現状を説明した。
「私は今来たばかりですが……その様子だと、ご存知無いようですね」
 蓮子は慌てて、外へ飛び出そうとした。
「行かなきゃ……っ」
 するとメイドがそれを呼び止めた。
「お待ちください。何処を探すというのです?」
「そ、それは……」
「それより……話していただけますか?」
「……話す? 何を?」
「メリー様のことを。ただ行方不明になったわけでは、ないのでしょう?」
 何故か蓮子は、言葉を詰まらせてしまう。
「そ、それはそうなんだけど……」
 メイドは確信に迫った。
「メリー様も、特異な能力の持ち主なのでしょう?」
 蓮子は黙ってしまった。
 しかし、メイドは続ける。
「宇佐見様。話していただけないのなら、それで構いません。ですが、手掛かりが無いと、こちらも捜索出来ないことをお忘れなく」
 メイドの意見は、あくまでも、蓮子自身のためだと。
「信じてもらえるか、分からないけど……」
「宇佐見様を信じます。そして、宇佐見様の相棒なら尚更です」
「わかったわ。メリーの命の恩人でもあるのだから……」
 蓮子はメリーの能力について話した。それに加え、在学中のことも全て話した。
「境界を越える能力……ですか?」
 境界を超える……世界を行き来できる能力。平行、二次元、過去、未来全てだ。
「ええ。メリーは眠っている間に、境界を越えていた。それで、よく行方不明になって、探し回ったのよ。初めはスキーマが見えるくらいの程度だったらしいけど……」
 メイドは訊ねた。
「なるほど……行方不明の原因がわかりました。しかし、何故そのことを黙っていたのです?」
 蓮子は少し嫌そうだった。
「誰も信じないわよ、こんなこと。それに、メリー自身あまり好ましく思わないから」
「失礼しました。口が過ぎたようです」
「いえ、いいのよ。メリーの手当てをしてくれたから、今更秘密には出来ないわ」
 メイドは頭を下げた。
「お心遣い、感謝します。それより、宇佐見様。一度ご主人様に相談なされては?」
「……そうね。また何か分かるかもしれない。行きましょう」
 二人は事務所を後にして、豪華客船へ向った。

 豪華客船、船長室――。

 蓮子は船長に蓮子の相棒、メリーことを全て話した。
「なるほど……個人での、空間転移か。それも本人の意思とは別に」
 命の恩人に、秘密があったことに蓮子は謝罪した。
「はい……黙っていてすみません」
「いや、構わん。誰しも話したくないことは、あるものだ」
 すると、メイドが言った。
「ですが、今は出来うる限りの情報が必要です。宇佐見様。他に心当たりはありませんか?」
「実際、捜しようが無いのが、実情なのよね。いつも、帰ってくるのをただ待ってるだけのほうが多かったから。私自身、境界越えは出来なかったからね」
「ふむ……転送装置や、道具を使わずに空間を越えるとは……興味深い。いや、失礼。私の方法では、コンピュータを使って物質をデータ化し、転送する技術があるが……」
 蓮子は冷静に訊いた。
「向こうにも同じ装置がないと、転送できない……っていうんでしょ?」
「察しが早いな。ターミナルや伝達装置がないと、それも不可能だ」
「そうよね……」
「だが、向こうから来る分には、宇佐見君のCOMPを目標として転送することが可能だ」
「でも、それは機械的な話。メリーの能力には関係ないわ」
「うむ。メリー君が、機械を使わないと不可能だ」
 すると、メイドが提案をする。
「ですが、以前メリー様から通信があったように、向こうの世界にも似た機械があるのかもしれません」
「近代的な世界ならね。古い文明なら不可能だわ」
 船長は困った顔をして言った。
「そうなのだが、宇佐見君。少し可能性のある話はできないかね?」
 蓮子は慌てて謝罪した。せっかく、力添えしてくれているのに、切り捨てるような意見を言ったことを。
「あっ、すみません。何か、変に冷静になっちゃって。こういうことは、一度や二度じゃないから」
「こちらもすまないな。宇佐見君。今のところ、現状での捜索は不可能に近い。だが、諦めてはいかんよ」
 励ましに対して、蓮子は力強く応えた。
「諦めてたまるもんですか。必ず探し出すわよ。きっと……」
「そうだな。ところで、そのCOMPには電子メール機能がある。送信さえしておけば、向こうで端末を使う機会があれば、閲覧可能だ」
「伝言板ってわけね。そうさせてもらうわ」
 さっそく蓮子はCOMPを操作し、メールを送った。
「それでは宇佐見様。次の問題なのですが。あの傷は刃物によるものです。詳しい話は料理長からあるようなので、これから向いましょう」
 蓮子は疑問を投げかけた。
「料理長が? 確かに刃物は使うけど、何の関係が?」
「それは行ってから分かります」
 疑問に思いながらも、メイドと共に料理長の元へ向った。

 豪華客船、調理場裏口――。

「……来たか。こっちだ」
 赤服の料理長に言われるがまま、ついて行くと、別室へ案内された。部屋は薄暗く、様々な機械と共に大きなカプセルが二つあった。
「蓮子。俺も大したことじゃないが、一つ秘密がある。それは……これだ」
 料理長は機械の電源を入れると、バチバチッと眩い光を放ちながら、カプセルから、大きな鉄の箱と剣が現れた。
 そして、二つの物体がカプセルから消えると、間も無くして光が収束し、料理長の手元に白銀の剣が現れた。
 料理長は剣を手にして言った。
「見たとおり、俺は剣を作っている。ある鍛冶屋の末裔だ」
「なるほどね……コンピュータによる電子化の応用ってわけね」
 蓮子が驚くだろうと思ったが、逆に料理長が驚いてしまった。
「……驚かないのか?」
「さっき、船長のところで、COMPについて話をしてきたから」
「そうか。だが、この機械は精度は高い。COMPで合体させるより、確実だ」
 蓮子は用件を訊ねた。
「ところでメリーに関係することって?」
「ああ。メイドから写真を送ってもらった。あくまで推測だが、刃物は刃物でも、より高度な刃物らしい。たとえばレーザーメスのような」
 写真という言葉に、蓮子は驚いた。
「写真? いつの間にそんなものを?」
 メイドが頭を下げた。
「申し訳ございません。何か手掛かりになるかと、写真を撮らせていただきました」
 勝手に写真を撮ったのは悪いことだが、メイドに悪意は無いとして、蓮子は話を続けた。
「まあ、いいわ。それより、レーザーってことは、メリーは高度な科学の世界にいたってわけね。ナノマシンもそうだったし」
 メイドは頭を上げて、応えた。
「そのようです。もっとも、また同じ世界とは限りませんが」
「わかってる。問題は、何故そんなことになったか。襲われたのかしら」
 料理長が応えた。
「これも推測だが、致命傷は避けられている。それも、相手に加減されたものではなく、避けたものだとすれば……」
「戦っていた……と? 一体何と?」
 料理長は、首を横に振った。
「……そこまではわからん」
「そっか……。まあ、少し情報が整理出来ただけでも、儲けもんだわ」
 それでも、残念そうな顔をしている蓮子に、料理長はこう告げた。
「それより蓮子。この剣だが、お前にやろう」
「えっ? いいわよ。そんなの。大体、包丁だってあまり握ったことないのに」
「それは女として大問題だな」
 思わず口を滑らせた料理長に、蓮子が反論する。
「差別的発言だわ」
 差別発言。そして、男装までさせている。
 料理長は、軽く謝った。
「おっと、すまないな。いいから持っておけ。そのCOMPに入れてやろう。出し方も教えてやる」
「……わかったわ。もしかしたら、メリーのために必要になると思うから」
 蓮子は決意すると、メイドは注意を促した。
「ですが、この世界では銃刀法違反の恐れがあります。あまり表立って扱わないように」
 その発言に、蓮子は困ってしまった。
「う〜ん……そういわれると、本当に必要なのかしら」
 すると料理長が、剣を渡しながら、蓮子に言った。
「少なくとも、ここなら安全だ。俺自身、少しは心得がある。蓮子。早速だが、使ってみろ」
 蓮子は剣を手にとって、身構えた。
「えっ、ええ。こうかしら……?」
 その姿を見た料理長は、数秒もしない内に、「ふぅ」とため息をついて、蓮子に言った。
「……ダメだな。根本的に向いてない」
 思わず蓮子は剣を落としそうになりながらも、反論する。
「ええっ? まだ始めても無いのに」
 具体的にメイドが悪い点を言った。
「宇佐見様。力み過ぎです。それから、これは片手剣です。両手で扱っては、せっかくの機敏さが失われます」
 蓮子は戸惑う。
「そ、そんなこと言ったって……初めてよ。剣なんか握ったのは」
 料理長は一蹴する。
「だから、一から教えるにしても、向いていないんじゃ話にならん。諦めろ」
 一方的に、剣を渡され、無駄とも言える始末。
 蓮子は呆れてしまった。
「修行の域すらないなんて……何のために渡したのよ」
 すると、料理長が意外な発言をする。
「お前の相棒なら、扱えるかもしれんな」
 蓮子は驚いた。
「メリーが? まさか……」
 料理長は具体的に言った。
「戦闘の可能性の問題だ。銃創は無かったからな。おそらく剣で戦っていたんだろう」
 蓮子は疑問に思いつつ、メリーを心配していた。
「そんなことまでしてるなんて……妖怪に襲われたんじゃないんだ」
「あくまで推測だ。それなら蓮子。拳銃はどうだ? 剣よりは扱いが楽だぞ」
 立て続けに見慣れぬ不釣合いな物。
 蓮子は疑問を投げかけた。
「ちょ、ちょっと待ってよ。どうしてそんな物騒なものばかりあるのよ。まるで妖怪と戦っているみたいじゃない」
 料理長は応えた。
「いや、俺達は直接戦ったりしない。あくまで捕手だ。必要とするならば、依頼に応えるだけだ」
 蓮子は訊ねた。
「料理長の世界では、妖怪が出るというの?」
「ああ。妖怪というより、総じて悪魔≠ニ称している。それだけ数が多いからな」
「武器に、近代的な機械。そして悪魔……一体料理長の世界は何だって言うのよ」
「それはタブーってやつだ。言ったはずだぞ。それより、拳銃は船長から貰うといい。今日はこれまでだ」
 蓮子は少し腑に落ちない様子だったが、再び船長の所へ向うことにした。
 メイドは蓮子が居なくなったことを確認し、料理長に訊ねた。
「剣を合体させた時。あの箱の中身までは言わなかったのは、何故です?」
「蓮子にはまだ早い。悪魔を使って剣を作っていることを話すには、刺激が強すぎる」
「そういうものですか……?」
「まあ、お前にわからんかもしれんが。それより、早く蓮子の所に行ったらどうだ」
「わかりました。それでは失礼します」
 メイドは一礼して、その場を後にした。

 船長室――。

 蓮子とメイドの二人は再び船長室へやって来た。そして、拳銃について話を持ちかけた。
「銃か……生憎、切らしていてな。この間の銃も暴発の可能性があるので、一時保管中だ」
 蓮子は断った。
「いえ、いいのよ。やっぱり、そんな物騒なもの必要ないわ」
「いや、必要とするときが来るかもしれん。知り合いの店を紹介しよう。そこで調達するといい」
 メイドは部屋の扉へ向かっていた。
「宇佐見様。私が案内します。行きましょう」
「本当に大丈夫なのかしら……」
 不安に思いつつも、蓮子はメイドの案内によって、店へ向うことにした。

 九十九市内、繁華街――。

 二人は店にたどり着いた。すると、蓮子がメイドに訊ねた。
「ち、ちょっと。こんな所に来て、本当に銃なんて購入出来るの?」
「と、いいますと?」
「だって、明らかに普通のラーメン屋じゃない。本当にここなの?」
 疑問に思うのは間違いない。目の前にあるのは、少しさびれたラーメン店だからだ。
 しかし、メイドはハッキリと応えた。
「はい。間違いありません。それでは参りましょう」
「え、ちょ、ちょっと……!」
 二人は店へ入った。
「いらっしゃい」
 割烹着姿のサングラスをかけた女将が、咥えタバコでやる気のなさそうな声を出して蓮子達を出迎えた。
 店内は普通のラーメン屋と変わりなく、おかしい点を、強いてあげるならば、客が誰も居なかったことだ。
「すみません。餡子餃子をお願いします」
 すると、だらけた態度を一変して、女将が訊ねてきた。
「……ということは、あんたが船長の?」
「はい。もっとも、私ではなく、こちらの方が必要とされています」
 メイドは蓮子の方へ掌を向けると、蓮子はあたふたとし、思わず会釈した。
 気にも留めず、女将はカウンターの裏から、冊子を取り出した。
「そうかい……おい、譲ちゃん。何が必要だい?」
 女将は蓮子にカタログを差し出した。
 蓮子はそれを受け取り、パラパラとめくると、様々な銃と弾丸が載っていた。
 恐る恐る蓮子は訊ねた。
「これって、モデルガン……ですよね?」
 女将は声を荒げる。
「馬鹿言っちゃいけないよ。うちはホンモノしか置かないよ」
 一緒にカタログを見ていたメイドが、蓮子に一つ一つ説明する。
「宇佐見様。まずはオートマチック拳銃がオススメです。これなどはいかがでしょう? 女性でも扱いが簡単です」
「そ、そんなこと言ったって。モデルガンでさえ、触ったことも無いのに……」
 すると女将が提案した。
「じゃあ、試してみるかい? 地下に射撃場がある。そこで使って、気に入ったものを持っていきな」
 女将の案内によって、蓮子達は射撃場へ向かった。

 地下射撃場――。

 地下の一室に、ガラス張りに見える、銃器保管庫でメイドが銃を選別していた。
 保管庫は射撃場に隣接しており、防弾ガラスで仕切りができていた。その中で、女将が次々と銃を取り出しては、メイドが扱いやすそうなものを探していた。
 しばらくして、メイドは銃を手にして、蓮子の元へやって来た。
 メイドは蓮子に拳銃を手渡すと、蓮子は困惑した様子で受け取った。
「宇佐見様。今度は両手で銃を構えてください。片手撃ちはあまり有効ではありません」
「わ、わかったわ……」
 蓮子はターゲットに向かって銃を構えた。
「力まず。腕は真っ直ぐ伸ばして。よろしいですか?」
 黙って蓮子は頷いた。
 すると、保管庫から、女将が茶化すようにこう言った。
「銃なんて、誰が撃っても、当たるもんさ」
 しかし、蓮子は気にした様子も無く、ただ、一呼吸した。
 その行動に、女将はサングラスを外して、蓮子の様子をじっと見ていた。
「宇佐見様。いつでもどうぞ」
 蓮子はゆっくりと引き金を引いた。

 パァン!

 発射された弾丸は、ターゲットの中央を見事に捕らえた。
 驚きと喜びが混じった声で、蓮子は叫んだ。
「や、やった……!?」
 思わずメイドも拍手してくれた。
「素晴らしいです。宇佐見様」
 女将はサングラスをかけ直し、一呼吸して蓮子に言った。
「ほう……まぐれとはいえ、中央ドンピシャとはね。気に入った。今回はタダでやるよ」
「え、いいの?」
「ああ。かまわないさ。ただし条件がある。さっきのメニュー。完食してもらうよ」
 蓮子は首を傾げた。
「メニュー?」
 メイドは言った。
「餡子餃子のことです」
 蓮子は驚いた。
「ええっ!? あれマジなの?」
 女将は、店内に戻ろうとしていた。
「それがこの店のルールだ。さ、来てもらうよ」
「あ、餡子餃子……聞いただけで吐き気が……」

 店内――。

「はい。餡子餃子おまちっ」
「ほんとに食べるの?」
「はい。ルールですので」
「で、でも……」
「メリー様のためなら……というのはどうでしょう?」
「わ、わかったわ。いただきますっ」
 蓮子は意を決して、餃子を口入れた。
「……あれ? おいしい……?」
「へえ。餡子餃子をおいしいと言ったのは、あんたが初めてだよ。オマケだ。ゼリースープも付けよう」
 蓮子はスープも口にした。
「……悪くないわ」
「ますます気に入った。何か困りごとがあったら、うちに来な。相談に乗ってあげるよ」
 拳銃と女将の協力を得られた蓮子は、店を後にした。

 帰り道――。

「本当によろしいので?」
「いつまでも、見送りするのも大変でしょ。一人で帰れるわ」
「ですが……」
「大丈夫だって。危なくなったらCOMPで連絡するから」
「……わかりました。それでは、お気をつけて。また、明日。お待ちしております」
 メイドは一礼して去って行った。
(あの子って、意外に心配性なのね……)
 そう思いながらも、感謝しつつ、蓮子も帰路をたどっていった。

 九十九市、ビル街――。

 事務所に向かう途中、蓮子はスーパーに寄って買出しをした。
 その帰り道……。
(まただわ……)
 蓮子は妙な感覚を覚えた。
(何かしら……人の流れが……見える?)
 曲がり角で蓮子は立ち止った。
(次に来る人は……男……!)
 そう思って、蓮子は確認するべく、曲がり角を曲がった。

 ドンッ……!

「だ、大丈夫かい? 君?」
 二十代の若いサラリーマンが、蓮子とぶつかった。
 サラリーマンは散らかった蓮子の荷物を回収しながら、蓮子に訊ねた。
「やっぱり……」
「え? 何がやっぱりなんだい?」
「い、いえ。こっちのことです。すみません、急に飛び出して」
「今度から気をつけることだね。私はこれで失礼するよ。それじゃあね」
 サラリーマンは去って行った。
 蓮子は確信した。
(私、周りが見える。まるでGPS探知機かのように……)
 蓮子の特異な能力は強化されていた。時間と距離だけではなく、周囲の距離まで把握できていた。
 急な能力の変化に、慌てることなく、逆に蓮子は、自信を持ち始めた。
(この能力があれば、メリーを探すことだって出来る。拳銃だって、練習すれば……!)
 その時だった。
(えっ……? 何この感覚? 男でも女でもない。動物……かしら……?)
 ビルの谷間にある、影。そこで人ではない感覚を覚えた。
 蓮子はビル街の影に入って、反応を追った。
 そして、反応を追うこと数分。
 路地裏にたどり着いたが、誰も居なかった。
(気のせい……じゃない。まだ反応がある。何かしら……?)
 すると、ゴミ箱がゴトゴトと動き始めた。
「な、何? 犬……猫……?」 
 うろたえる蓮子に、呼応するように、ゴミ箱は激しく動き、倒れた。
「な、何よ! これは!?」
 ゴミ箱から出てきたもの。それは、真っ黒なコールタールのような、怪物だった。
 怪物はドロドロと溶けながら、徐々に人の形を保っていく。
「うぇぁあぁぁぁあ……っ!」
 言葉にならない奇声を発しながら、蓮子に近寄っていった。
 蓮子は尻餅をついて、取り乱した。
「い、いやっ! こ、来ないで!!」
 怪物は、ゆっくりと蓮子の足を取ろうとした。
 すると、頭上から光がさすと同時に、空を切る声がした。

「たぁぁぁぁぁっ!!」

 金色のオーブのように、光を放ちながら、人が飛び降りてきた。
 怪物はそれに気づき、後ろをふり向いた瞬間。縦に真っ二つにされていた。
「うぅぅぅえあぇ……!?」
 怪物は煙のように消え去った。
「大丈夫? 蓮子?」
 飛び降りてきた人物。それは……。
「め、メリー……なの?」
 緑色に発光する剣を手にして、ふり向いて応えた。
「ええ。貴女の相棒=パートナー<<梶[よ」
 確かにメリーだった。包帯や手当ての後も、残っていたが、何より、蓮子の能力が一番の反応を示していた。
「メリー! 今まで何処に!?」
 メリーは剣のスイッチを切り、刃を消すと、こう応えた。
「ごめんなさい。今は一時の猶予も無いの。また、戻ってこられるか、どうか……」
 蓮子はパチンの自分の頬を叩いて、無理やり冷静さを取り戻し、メリーに言った。
「わ、わかったわ。でも、また会えると信じてるから。きっと……」
「ありがとう。蓮子。それじゃあ、またね」
 メリーの頭上に光の輪が現れ、カプセルのように身をつつみ、そして消えていった。
「メリー……必ずだよ……」

「……宇佐見様」

 蓮子の後ろの方から、メイドがやって来た。
「遅かったじゃない。メリーなら、もう居ないわ」
「宇佐見様。一体何が?」
「それなら、船長の所……でしょ?」
 冷静な蓮子に、驚きつつも、メイドは指示した。
「え、ええ……そうですね。それでは転送装置を使いましょう」
「COMPを使うのね?」
「お察しが早くて助かります。船にはターミナルがございますので、いつでも転移可能です。この世界用に少し、調整と時間がかかりましたが」
「構わないわ。さあ、行きましょう」
 メイドの指示に従って、COMPを操作すると、光のカプセルが現れた。先ほどのメリーと同じような。
「ふふっ……それでもメリーには、たどり着けないか……」
 そう蓮子が呟くと、メイドは一言告げた。
「らしくありません。宇佐見様の特権は前向きな明るさ――」
「わかってるわ。まずは状況整理よ。さあ、早く」
 珍しくメイドは少し困惑気味だった。
「それなら、よろしいのですが……」
 二人は転送された。

 豪華客船、一室――。

 ものの数秒で、船の一室へたどり着いた二人。
(これが転移……か)
 蓮子がそう思うと、メイドが蓮子の安否を気遣った。
「どこか、ご気分が? 転移は初めてのはずでしたが、お体の方はよろしいので?」
「ええ。大丈夫よ。さっそく船長の所に行きましょう」

 客船、船長室――。

「何と? パートナーに会えたのかね?」
 船長は驚いた様子だったが、蓮子は淡々と応えた。
「逃げられましたけどね」
「逃げられた?」
 すると、メイドが訂正を加えた。
「いえ。あの様子では、メリー様にも何か都合があったようです」
 蓮子も訂正を加えた。
「その時には既に、あんたが居たってことね。人が悪いわ」
 メイドは頭を下げた。
「申し訳ございません。お二方の邪魔をするつもりは、なかったのですが……」
 蓮子はメイドに頭を上げさせ、要点を言った。
「いいのよ。それより、怪物に襲われたわ。真っ黒いスライムのような……」
 船長は大声を出した。
「何!? 大丈夫だったのかね?」
 蓮子は両手を折り曲げて言った。
「ご覧の通りよ。手も足も出なかったけどね」
 船長は蓮子を見るなり、安心して、一息ついてから、応えた。
「宇佐見君。それは悪魔の一種だ。シャドウともよばれている。一般的に表立って活動はしないはずだが……」
「恥ずかしい話。何も出来なかったわ」
「宇佐見様。今後は躊躇わず、拳銃をお使いください」
「ええ。そうさせてもらうわ。ところで料理長も用事があるみたいね」
 そう言って間もなく、部屋に料理長がやってきた。
「どうした、蓮子? 俺の顔に何か付いているか?」
 何気ない一言に、船長とメイドは顔を見合わせた。
「宇佐見君……? 一体これは?」
 蓮子は言った。
「なぁに。なんとなくですよ。それも、まだ修行中の身」
 船長は困惑しつつも、案内を命じた。
「ま、まあいい。料理長、案内してやってくれ」
「ああ。それじゃ、蓮子。作業場に来てくれ」

 作業場――。

 二つの大きなカプセルがある、薄暗い作業場へ、蓮子達は再び訪れた。 
「いいか、蓮子? 既に対峙していると思うが、この世界にも悪魔は存在する」
 料理長が言うと、蓮子はカプセルの中にある箱を指差して応えた。
「この中身がシャドウだっていうんでしょ?」
 料理長は驚いた。
「何故……わかった?」
「言ったでしょ。なんとなく……ただ、それだけよ」
 メイドは蓮子に訊ねた。
「宇佐見様。先ほどから、なんとなく、とお申しですが、一体何故把握できるのです?」
 蓮子は正直に応えた。
「私。能力が強まったみたい。周りの位置が把握できるようになったの。つい、さっきだけどね」
 料理長は可能性を指摘する。
「COMPの影響か?」
 メイドは否定した。
「いえ、転移前のようですので、それはありえないと思います」
 蓮子の能力は、COMPによるものではない。それは、純粋な自分の能力だと。蓮子はCOMPに気づいた。
「COMPも悪魔を利用しているってことね」
 料理長は大きな溜息をついてしまった。
「参ったな……全て筒抜けじゃないか」
 初めてシャドウのことを知った蓮子は、拳銃を握って応えた。
「そうでもないわよ。シャドウについては、初めて見たわ。あれが、本物の悪魔ってやつね。今度は容赦しないわ」
 料理長は、小さくため息をつき、蓮子の状況を訊ねた。
「しかし、蓮子。一歩も動けなかったとはいえ、切り替えが早いな。何故だ?」
「それはメリーが……そうだわ! 料理長。メリーはやはり剣を持っていました。まるで光の剣のような」
 料理長は、やはりと言った感じで、冷静に応えた。
「だろうな。メリーは剣の扱いに長けていて、戦闘も経験済みということだ」
「悔しいけど、そうみたいです」
 料理長は訊ねた。
「……悔しい?」
 思わず漏らした一言。蓮子はそれを良しとはせず、否定した。
「いえ。何でもないです」
 料理長は次の質問をする。
「それでメリーはいつ戻ると言ったんだ?」
「そこまでは……」
 料理長は、蓮子の目の前に来て、ハッキリと言った。
「次にメリーに会うまでに、俺の所で修行しろ。そして、メリーに剣を渡せ」
 蓮子は疑問を口にする。
「で、でも、メリーは既に剣を持っているし、私の剣より、料理長の剣の方が……」
「それで、お前は満足か?」
「えっ?」
「確かに俺の剣は悪魔を媒体として、作っている。しかし、それを使う奴は、人を斬ることだってあるんだ。決して俺のしていることは、まともじゃない」
 人を斬るという言葉に、蓮子は言葉を詰まらせた。
「メリーに限って……そんな……」
 メイドも同意見だった。
「人の力は国家、生態系さえも、変えてしまうものです。それが人間の恐ろしい所です」
 蓮子は俯いて、黙ってしまった。
「今日の所は引き上げろ。メイド? 転送装置を」
 蓮子は俯いたまま、こう言った。
「いいわ。一人で帰れる……」
 蓮子が部屋を出て行こうとすると、メイドが心配そうに呼び止めた。
「宇佐見様。自分の思ったことと、成すべきことを、今一度お考えください」
 言葉少なげに、蓮子は応えた。
「ええ。そうするわ。それじゃ……」
 蓮子は部屋を出て行った。
「うーむ……少し、言い過ぎたか?」
「かもしれません。今日だけで、色々なことがありましたので」
「さて、蓮子。おまえは、相棒の為に、どうでる?」

 三日後――。

「おはようございますっ」
 大きな声で挨拶し、蓮子は客船の厨房に来るや否や、料理長を探した。
「蓮子ちゃん? どうしたの、そんなに張り切って?」
 すると、先輩のボーイが現れて、蓮子に訊ねた。あまりにも元気すぎるからだ。
「あ、おはようございます。料理長はどこに?」
「俺ならここだ」
 料理長は厨房の奥からやってくると、蓮子を下から上へなぞるように見ると、こう告げる。
「その様子だと、決心がついたみたいだな」
「はい。私は、人殺しなんかさせない。誰も殺さない。そんな剣を作りたいんです」
 状況が飲めないボーイは、口出しした。
「ハァ? 蓮子ちゃん。何言ってるの? 刃物はその人しだいで、人がとやかく――あいたたたたっ!」
 ボーイは料理長によって、文字通りつまみ出された。
「そんなことが可能だと、思っているのか?」
「データは収集済みです。大気エネルギー、スタンスティック、レーザーメス……そして、何より私の強化された能力で演算が出来ると思います。いえ、可能です。後は……」
「俺の修行は、厳しいぞ」
「私の意志は固いです」
「……わかった。だ、そうだ。メイド」
 蓮子の後ろからやって来たメイドは、こう告げる。
「自分の思ったことと、成すべきこと……その答えが出て、私は嬉しいです」
「待ちなさいよ。まだ、完成していないんだから」
「ははっ。そうだな。ところで蓮子。思ったより立ち直りが早かったな」
「実は一晩寝たら、妙に頭が冴えちゃって。残りの二日間で、データ収集と、図面と計算式を書いていました」
 料理長は驚いた。立ち直るだけではなく、既に剣を作る準備が出来ているということを。
「仕事が早いな。なら、その図面とやら見せてみろ」
「はい。データ化してあるので、COMPを見たらわかると思います」
 蓮子はCOMPを見せた。
 すると料理長は黙ってしまった。
「あ、あれ? やっぱ無理……でした?」
「蓮子? 本当に可能だと思っているのか?」
「理論上は……ですけど……」
 料理長は一呼吸置いて、こう応えた。
「俺の意見を言おう。あまりにも馬鹿げている。非現実的だ。だが……悪くは無い」
「えっ? そ、それじゃあ……?」
「後はお前しだい……ということだな」
「わ、私っ。がんばりますっ」
 それから、料理長の下で錬金術を学ぶこととなった。次にメリーに出会うまでに、最高傑作を手渡す為に……。


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 九十九市、ビル街――。

 蓮子が錬金術を教わって数ヶ月。蓮子は以前、怪物に襲われた場所へ向かっていた。
 その理由は……。
「蓮子ったら。また遅刻よ」
 路地裏へたどり着くと、そこで待っていたのは、相棒=メリーの姿だった。
 メリーは少し不貞腐れた様子だったが、蓮子は気にもせず、要件を言った。
「今日は、逃げないの?」
「まあ。逃げるだなんて、人聞きの悪い言い方」
「その様子だと、少しはあるみたいね」
「ええ。一時間って、ところかしら」
「そっか……」
 蓮子はメリーに近寄り、まじまじとメリーを見始めた。
「な、何よ。蓮子? そんな疑ったような目で見て」
「いや、少し太った――」

 ボカッ……!

 メリーは蓮子の頭をグーで殴った。
「失礼ね! 寧ろ痩せた方よ」
「ごめんごめん。そうだね。いいスタイルしてるわ」
「何よ。今更、そんなこと言ったって、許してあげないんだから」
「冗談よ。冗談」
 そんなやり取りの中、メリーは不意に言葉を詰まらせてしまう。
「許してほしいのは、私のほうよね……いつも、貴女に心配かけて……」
 蓮子は訊かなかった。今まで、どこで、何をしていたかを。
「蓮子。私ね……」
「無理に言う必要ないわ」
 そういって蓮子はポケットから棒つきの小さなキャンディーを取り出して、口に咥えた。まるでタバコを咥えるように。
「訊いて欲しいことがあるなら、決着が着いたらにしましょう。死亡フラグだわ」
「勝手に殺さないでよっ」
「うんうん。その方がメリーらしいわ」
「何よそれ。まるで私がヒステリー女みたいじゃない」
「あれ? 違ったっけ?」

 ビタン……!

 蓮子の口にしていたキャンディーが飛んだ。
 メリーは蓮子の頬をはたいていた。
 蓮子は嬉しそうに、新しいキャンディーを取り出して言った。
「ふふっ。ようやくエンジンがかかって来たみたいじゃない」
「もうっ。蓮子ったら」
 それから二人は他愛無い話で盛り上がり、約束の時間まで、楽しい時間を過ごした。
 すると、蓮子がこう呟く。
「あと、五分ってところかしら」
「えっ? 何のこと?」
 座っていた蓮子は、立ち上がって、厳しい現実を告げる。
「行くんでしょ? 向こうの世界へ」
 メリーも立ち上がって、応えた。
「……ええ」
 蓮子はメリーに背を向けたまま、こう告げる。
「三年だけ待ってあげる。それ以上は、あなたのことを忘れるわ」
「いやっ! そんなの聞きたくない!!」
 メリーはすがる様に蓮子に抱きついた。
「蓮子。貴女も一緒に行きましょう。ずっと一緒にいましょう」
「私は、死にたくない」
「私が守るから!」
「無理だわ」
「無理じゃない!」
 すると、蓮子が大声を上げる。
「いい加減にしなさい!」
「れ、蓮子……?」
「あなたの成すべきことは、こんなことじゃない。顔を上げなさい」
 すっかり泣き顔のメリーに、蓮子はメリーの頬をピシャリとはたいた。
「仲間が、待っているんでしょ。時間が無いわ。これを……」
 蓮子はCOMPからあるものを取り出した。それは……。
「そ、卒塔婆……?」
 この世界では見かけなくなったもの。罰当たりなものだったが、これが蓮子の渡したいものだった。
「いい? 一度しか言わないから、よく聞きなさい。これは非殺傷兵器よ。これで誰も殺さないですむ。常にスタンモードになっているから。もし、どうしても駄目なときは、あなたの意思で、殺傷にも切り替えられる。これは念≠ェ可能にするわ。そうすれば、致命傷は避けて、物理ダメージになるだけよ」
「私、人殺しなんか……っ!」
「答えは聞いていない。今は自分が思ったことと、成すべきことをするまでよ。メリー」
 メリーの頭上に光の輪が現れ始める。
「嫌っ。そばに居て。お願い!!」
 蓮子はメリーからゆっくりと離れ、再度こう告げる。
「三年よ。三年。私を思うなら、絶対戻ってきなさい。私の無茶振りを通すのがあなたの役目よ」
 メリーは卒塔婆を手にして、涙を拭って応えた。
「わかったわ。必ず……必ず、戻ってくるから……それまで、無事でいてね」
「ええ。お互いベストを尽くしましょう。待ってるわ。それじゃ、元気でね!」
 蓮子はメリーの別れを見届けず、その場を足早に去って行った。
「蓮子。絶対、戻ってくるから……っ!」
 メリーは転移された。
 メリーの転移が確認されると、蓮子はゆっくりと足を止め、その場に泣き崩れた。
「絶対……絶対、戻ってきなさいよ! 馬鹿メリーッ!!」


 三年後――。


 探偵事務所には看板が掛けられていた。
 GFC探偵事務所。
 GFC――GamutFactCanvassの略で『あらゆる種類の事実を詳しく調査する』という意味である。訳語はただの単語の羅列で、当時活動していたサークルの英名とは全く違うのだが、当人の基本的概念は同じ。今もなんら変わりは無い。
 事務所内では今は珍しい、レコードによるジャジーな音楽が流れている。
 その所長は、事務所のデスクに足を乗せて、椅子に座っている。そして、帽子を目深に被って、こう呟いた。
「う〜ん……これぞ、ハードボイルド」

 ボカッ……!

 所長の頭は何者かに叩かれた。
「いったぁ〜っ。何すんのよ、メリー!」
 所長蓮子の頭を叩いたのは、相棒のメリーだった。
「何がハードボイルドよ。それからデスクに足を乗せない」
「まったく……これだからお嬢様は困る。ハードボイルドの何たるかを全く知らないだから」
「そんなもの、知りたくもありません。邪魔よ。お掃除するんだから」
「はいはい……」

 ――約束の日。メリーは蓮子の下へ現れた。

「ひさしぶりね、蓮子」
「ええ。ひさしぶり。髪、伸びたんじゃない?」
 メリーの髪は、肩までだったが、三年の間で、腰元まで伸びていた。
 自慢げに、手で髪をなびかせながら、メリーも蓮子に言った。
「ふふっ。伸ばしてみたの。それに貴女だって、その格好。探偵っぽいわよ」
 蓮子の姿は、黒のジャケットスーツに、黒のソフト帽を被った、映画から抜け出してきたような格好だった。
 蓮子も自慢げに、タイを引き締めて、メリーに言った。
「っぽい。じゃなくて探偵よ。探偵。ハードボイルド探偵。よろしく」
「ところで言いたいことがあるんだけど……」
「事務所で聞くわ」
「今じゃないと、駄目なの」
「まったく、困ったお嬢様だ」

 バシッ……!

 メリーは蓮子の頬をはたいた。
「よくも私の頬を叩いてくれたわね。それに、あんな別れ方無いわ。それから、それから……」
 次々に文句を告げるが、蓮子は優しくメリーを抱きしめた。
「メリー……無事でよかった」
 とっさのことに、メリーは動けずにいた。
「れ、蓮子……?」
 蓮子は改めて言った。
「無事で、よかった」
 その一言で、メリーの瞳から涙があふれだす。
 泣きながら、メリーはうなずいた。
「うん……うん……」
 蓮子はそれ以上何も言わず、抱きしめつづけた。
 互いに同じ世界にいることを認識した時でもあった。
 メリーは、泣き続けながらも、喜びを感じていた。
 蓮子にとって、メリーに何があったかはわからないが、約束を果たした。それだけで十分だった。
 二人は影法師が伸びきるまで、抱きしめあった。

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仮初の探偵 -誕生編 ACT02-