仮初の探偵 -誕生編 ACT03-





1.神隠し



 GFC探偵事務所――。

 メリーが戻ってきてから一ヶ月が経とうとしていた。
 その間、メリーは蓮子の事務所でお世話になっていたのだが……
「う〜ん……今日のコーヒーは、また格別ね」
 探偵事務所の所長、蓮子は、満足気に朝のコーヒーを飲みながら、デスクでくつろいでいた。
 女性には少し大きい、所長の椅子は、深く腰をかけると、足が地面に届かない代物だった。
 わざと大きいサイズを購入した。蓮子はそれを知ってのことだ。
 そんな蓮子を見て、相棒、メリーは蓮子に注意をした。
「あのねぇ……何度言ったらわかるの。デスクに足を乗せないって、いつも言ってるでしょう」
 蓮子はデスクから足を崩さず、あっさりとこう応えた。
「なぁに。クライアントは居ないのだから、気にする必要は無いわ」
「普段から、そんな括弧してたら、依頼人が来たら、困るでしょう」
 肌蹴たワイシャツに、デスクに足を乗せる……まるで、少年のような言動。
 蓮子は、当たり前のようにこう言った。
「その時は、こういうのさ。ハードボイルド探偵、星野蓮子です。ってね」
 メリーは諦めた。
「もうっ。勝手にしなさい」
 メリーはその場を離れて、事務所のソファに座ると、困った顔をしていた。
(どうして、こんなに女性らしく、なくなったのかしら……)
 メリーの悩みとは裏腹に、蓮子はコーヒーを飲み終えて、棒つきの小さなキャンディーを口にしていた。
「コーヒーのあとは、やっぱこれよねぇ」
 まるでタバコをふかすかのように、咥えながら、深く椅子に腰を掛けていた。
 完全に子供である。
 すると、メリーが呆れたように、蓮子に言った。
「そんなにハードボイルドが好きなら、煙草にしなさいよ」
 キャンディーを口にしたまま、蓮子は言った。
「嫌よ。誰が好き好んで、肺がん率を上げなきゃならないのよ。それに、コーヒーの味が分からなくなるわ」
「百歩譲って、癌になるのは解るわ。でも、そのキャンディーは何? 子供みたいじゃない」
「ハードボイルドには童心《ソフトボイルド》も、必要ってことさ」
 思わずメリーは、大きなため息をついた。
「はぁ……ホントに、どういうつもりなのかしら」
「何てことは無いわ。いつも通りの朝を迎えたわけよ」
 メリーは呆れ果てていた。
「はいはい。そうですね」
 すると、蓮子は急に立ち上がって、衣服を整え、キャンディーをガリガリを噛み砕いた後、事務所の入り口へ向かった。
「どうぞ。鍵なら開いてるわ」
 間もなくして、入り口から、若い女性が現れた。蓮子の能力(悪い癖)である。
 女性は驚いて、蓮子を見るや否や、すぐさま訊ねた。
「す、すみません。探偵事務所の方ですか? 所長は?」
 蓮子は自分の胸に手を当てて、自己紹介する。
「私が、所長。ハードボイルド探偵、星野蓮子です。よろしく」
 女性は再び驚いた。
「えっ? 男性じゃないんですか」
 一般認識で、探偵は男がするものだと、思っていた女性だった。
 蓮子は応えた。
「はい。れっきとした女性ですよ」
 しかし、それは男装に近い格好している、蓮子の事を指しているのではなかった。
 女性は少し、困惑する。
「いえ、そういう意味ではなくて……」
 蓮子は女性を招き入れた。そして、ソファへ案内し、メリーにこう告げる。
「メリー? クライアントに熱いコーヒーを」
「私を雑務に使わないでよ」
 そう言いながら、急の来客に、メリーは慌てていた。
 メリーはパープルカラーのレディーススーツの襟を整え、女性に微笑みながら軽く会釈した。
 蓮子は、客人の前でも、いつも通りの対応をしていた。
「所長は私。私の方が偉いの。さ、早く」
「もうっ。勝手なんだから」
 そう言ってメリーは、キッチンへ向かい、準備を進めた。
 その間、蓮子は依頼人をソファへ座らせ、名詞を渡していた。
「GFC探偵事務所……星野蓮子。ですか……」
 依頼人は、三十代前半の割と何処にでもいる女性で、蓮子より年上だった。
 蓮子もまた、向かいのソファに座り、雑談をし始めた。
「こんな事務所だけど、女性が請負人じゃないと、困る依頼もあるのよ。あんたもそうでしょ?」
 すると、そこへメリーがやって来て、こう言った。
「こらっ、蓮子。相手の方が年上なんだから、口の利き方に気をつけなさい」
「ハードボイルドに接するのが、私のポリシーよ」
 メリーは蓮子に呆れながらも、カップをテーブルに並べた後、依頼人に謝罪した。
「すみません。この人、馬鹿なんです。用件なら、私が承りますから」
「馬鹿とは何よ。馬鹿とは」
「そのままの意味よ」
 二人のやりとりに、依頼人は笑っていた。
「ふふっ……仲がよろしいんですね」
 依頼人は二人を怪しむ様子も無く、自然体で接してくれたことを、少し喜ばしく思っていた。
 蓮子は当たり前のように言った。
「ま、バディ映画を目指しているから、これくらい当然よ」
 蓮子はそう言って、テーブルのカップに手を伸ばすと、あることに気づく。
「んん? メリー? これ、コーヒーじゃないわ。紅茶じゃない」
「だって、貴女ってブラックコーヒーしか飲まないじゃない。私、苦いのは嫌いなの。だから、紅茶」
「あのねぇ……探偵にコーヒーが付物なのよ」
 すると、依頼人が、申し訳なさそうに、間に入った。
「あの……出来れば紅茶がいいです」
 メリーは勝ち誇ったかのように、こう言った。
「ほら、見なさい。女性は紅茶が好きなのよ」
「探偵っぽくないじゃない」
「なら、貴女の分は取り上げるわ」
「あっ、駄目よ。勿体無い。ちゃんといただくわ」
「ホント、馬鹿なんだから」

 ――場が和んだ所で、三人で紅茶をいただきながら、蓮子は依頼人に訊ねていた。今回の依頼内容を。

「失踪……?」
 蓮子がそう訊ねると、依頼人は話し始めた。
「はい。私の彼が、突然消えたんです。電話も音信不通で、実家にも居ないって言うんです」
 蓮子は続けて訊いた。
「警察には?」
「それなんですが、捜索願を出したのですが……」
「警察に相手にされなかった……と?」
「いえ。受理されたのはいいんですが、もう一年にもなるんです。訊ねてみても、捜索中としか……」
 蓮子は疑問を持った。
「おかしいわ……」
「はい。確かに、警察も動いているはずなんですけど」
 蓮子は言った。
「いえ、そうじゃなくて。あなた、この街にはいつから?」
「えっ? あ、はい。二年前ぐらいに引っ越してきました。それから、彼と出合ったのが、二ヵ月後です」
「なるほど……やっぱり、おかしいわ」
 不思議そうに、メリーが訊ねた。
「さっきから、何がおかしいのよ」
 蓮子は推理し始めた。
「それだけ経ってるのに、ニュースになっていないことがよ。この中では私が一番、この街を知っているわ。職業柄、ニュースには目を通しているけど、そんな話聞いたことないわ」
 依頼人は、少し怒った口調で言った。
「私が、嘘を言っているとでも?」
 蓮子はなだめることもなく、話を続けた。
「いえ。そういう意味じゃなくて、警察内の隠蔽があるかもしれないってことよ。その彼の職業は?」
「普通のサラリーマンです」
 すると蓮子は、いつものキャンディーを口にして応えた。
「何か、恨みを買うようなことは?」
「ないと思います。自分で言うのもなんですが、気は優しい方で、近所の評判も良かったと思います」
「事件性は低い……か。となると、故意による失踪」
「それも、理由が無いと思います。失踪する朝は、普通に接してましたし、早く帰ると言ってました」
「それっきり、行方知れずと?」
「はい……もう、どうしたらいいか、わからなくて……」
 すると、蓮子は依頼人に、妙なことを訊ねた。
「あなた。神隠しって、御存知かしら」
「えっ? ええ、まあ……」
「比喩的表現じゃなくて。もし、現実にある……としたら?」
「そんな、まさか……」
「ま、いいわ。信じる、信じないは別よ。何か手がかりになるようなものは?」
「はい。これが彼の写真です」
 依頼人は、ハンドバッグから、写真を取り出して、蓮子に渡した。
 写真には、依頼人の肩を抱いて、微笑んでいる、男が写っていた。
「ふ〜ん……確かに気は優しそうだけど、独占欲が強そうだわ」
「蓮子っ! 失礼なこと言わないの!」
 蓮子は悪びれる様子もなく、依頼人に訊いた。
「他には?」
「いえ、それだけです……」
「ふむ……ちょっと失礼」
 蓮子は急に目を閉じて、天井を見上げた。
「あ、あの……? 一体何を?」
 すると、メリーが代わりに応えた。
「ごめんなさい。少し、静かに」
 数分後、蓮子はゆっくりと、目を開け、呟いた。
「身長百七十前後で、三十代から四十代の男性で、痩せ型。該当数が多すぎて、これ以上の検索は、夜じゃないと無理ね」
「い、今のは?」
「なぁに。ちょっと、GPSを使っただけよ。それより、彼の会社は?」
「○×商事です」
 再び、蓮子は目を閉じた。
「駄目ね。会社にはいないわ。やはり、警察内部が臭いわね」
「お願いします。もし、亡くなっているのであれば、せめて、亡骸だけでも……」
「落ち着きなさい。まだ、死んだと決まったわけじゃないわ。まあ、あとは私達にまかせて」
「引き受けてくれんですね? ありがとうございます!」
「あ、連絡先と、電話番号を教えてくれる? 何か進展があったら、こちらから連絡するわ」
 依頼人は紙に書いて、蓮子に手渡した。
「それから、依頼料が、こちらの封筒に……」
 蓮子は封筒を、受け取らなかった。
「成功報酬でいいわ」
 封筒を返そうとした瞬間、メリーがそれを取り上げた。
「駄目よ。これから出費があるんだから。自費にする気?」
「私にとって、捜索は朝飯前なのよ」
「出費は押さえるべきです」
「私も、そう思います。万が一、亡くなった場合は……」
「だから、結論を急がない。とにかく、私達にまかせて、今日は引き取っていいわよ。早速、今日から捜索するから」
「はい。彼のこと……よろしくお願いします」
 依頼人は、深々と頭を下げて、事務所を出て行った。
 すると、メリーが蓮子に呆れながら訊ねた。
「貴女ねぇ……少しは、生活のことを考えて――」
「受けるべきじゃ、無かったかしら」
「えっ?」
「本当に神隠しなら、お手上げじゃない」
「それを何とかするのが、私達の仕事でしょう?」
「まあね……」
 どこか腑に落ちない蓮子を見て、メリーは首をかしげた。
「じゃあ、夜になったら、行動開始よ。それまで、ドラマでも見ましょうか」
「それじゃ、私は買い出しに行ってくるから」
 そう言って、各々は夜を待つことにした。


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 午後九時。九十九市、繁華街――。

 蓮子達はラーメン屋に来ていた。それは、蓮子がお世話になっている、サングラスをかけた女将がいるラーメン屋だった。
 ラーメン屋は時間帯もあり、それなりに人が入っていた。
「ふぅん……冴えないやつだねぇ」
 女将は蓮子が持ってきた、依頼人の彼氏の写真を見るや否や、率直な意見を言った。
「でしょ? なーんか、胡散臭いし」
 蓮子も同意権で、話に花を咲かせていると、メリーが言った。
「失礼でしょ。依頼人の彼を悪く言うなんて」
「じゃあ、メリーはこの男がタイプなわけ?」
「そういう言い方はないでしょっ」
 すると、女将はタバコに火を点けて、ふかしながら応えた。
「お前の相棒は、固いな。胸も尻も固そうだ」
「し、失礼ね! 初対面に向かって、何て言い方するの!」
 蓮子はフォローするかのように、こう応えた。
「大丈夫。メリーは胸も尻も柔らかいから。頭は固いけどね」
「蓮子っ!」
 メリーが手を上げようとすると、蓮子はすぐさま、こう告げる。
「おっと。お客さんがいる前で叩くの?」
 一連の流れは、客の注目の的になっていた。
 メリーは黙って、手を下ろした。そして、ぷいっと、そっぽを向いてしまった。
 メリーにはこの場が合わないようだったので、蓮子は用件を女将に言った。
「冗談はともかく、女将さんの方でもリサーチかけてよ」
「さてねぇ……私の方でも、そんなニュースは聞かなかったと思うけどねぇ……」
 女将はタバコを灰皿にもみ消して、メリーを見やった。
「何よ。何か文句あるの?」
 女将はなだめながらも、メリーの方を見続けた。
「文句なんてないさ。良識があっていいことだ。蓮子にピッタリの相棒……おや、どうやらこの街からは出ていないみたいだね。空路に限ってだけど……」
 メリーは不思議そうに、蓮子に訊ねた。
「何をしているの? この人は?」
 蓮子は応えた。
「ああ。グラサンがCOMPになっているのよ。女将さんのはね」
「ちょっと待っておくれ……航路は……船長にも心当たり無いそうだ」
「そっか……となると、陸路でこの街だけで検索をかければいいってわけね。ありがとう女将さん。また来るわ」
「ああ。また来なよ。今度は何か注文しておくれ」
「はい。そうします。それじゃ……」
 足早に蓮子が店を出ると、メリーも続いた。
「あ、待ちなさいよ」
 すると、メリーは女将に呼び止められる。
「ちょっと待ちな。お嬢様」
 メリーは足を止めた。
「何か? それにお嬢様という名前ではないわ」
「まあ。そう、いきり立ちなさんな。あんたに渡すものがある。受け取っておくれ」
 女将は黒いゴーグルをメリーに差し出した。
「要らないわよ」
「まあまあ。これは私が若い頃使っていたCOMPだよ」
「だから?」
 敵意を露にするメリーに、女将は新しいタバコに火を点けて、咥えタバコで応えた。
「この世界じゃ必需品だよ。この歪んだ世界じゃね。蓮子はあんたが居ない間、どうしてきたと思う?」
 メリーは言葉を詰まらせる。
「そ、それは……」
「ま、言わずもがなだね。とにかく、蓮子のことを思うなら、もっていきな」
 メリーはゴーグル型のCOMPを受け取った。
「……はい。大事に使わせてもらいます」
「うんうん。それがいい。さ、蓮子が待っているよ。早くいきな」
「はい。それじゃ、また……」
 メリーは頭を下げて、店を出て行った。
 外では蓮子が、待ちくたびれていた。
「遅いわよ。メリー。女将さんと仲直りした?」
「ええ、まあ。それより蓮子。もし、貴女が居なくなったら、今度は私が探してあげる」
「ハァ? 逆でしょ?」
「いいのっ。私、決めたんだから」
「……ま、いっか。その時は頼むわね。それじゃ、捜査に行きましょう」
 二人は夜の街を舞台に調査へ向かったのであった。

 それから、一週間後――。

 朝の探偵事務所。
 日差しがまぶしいせいか、事務所のブラインドを下げている。その所長の机で、蓮子はいつも通りくつろいでいた。
「ふぅ〜……今日もコーヒーがうまいっ」
 そういって、蓮子はコーヒーを飲んでいた。
 そんなリラックスモードの蓮子に、メリーが呆れながら訊ねた。
「あのねぇ……蓮子」
「何? キャンディーならあげないわよ」
「要らないわよっ」
 怒りながらも、メリーは本題に入った。
「あの依頼の件なんだけど……」
 蓮子は惚けたように言った。
「依頼ぃ? 何のことやら」
 そういうと、蓮子はキャンディーを口にしようとしたが、メリーがグイッとそれを取り上げた。
「先週の捜索願。まさか、忘れたとは言わないでしょうね?」
 メリーの目は鋭い。しかし、それに対して気にも留めず、蓮子はポケットから、新しいキャンディーを取り出した。
「人から、大事なキャンディーを取り上げておいて、よく言うわ」
 包装用紙を剥がして、キャンディーを口にする蓮子。その態度にメリーは怒りを露にする。
「依頼を破棄する気? しかも、お金まで貰っておいて」
「私は断ろうとしたハズよ」
「結果的に、詐欺まがいのことをしてるでしょっ」
 蓮子はデスクの引き出しから、封筒を取り出して、メリーに差し出した。
 封筒は依頼人のものだった。
「だったら、あなたが返してきてよ」
 メリーはそれを受け取り、封筒を確認した。
「使っていないようね……いいわ。私が返してくる」
 メリーは出かける支度をしながら、蓮子に言った。
「貴女が、そんな人だとは思わなかったわ」
「幻滅した?」
「いえ。初めから分かっていたことよね。それじゃ、行って来るわ。後で覚えてなさい」
 そう言い残して、メリーは事務所を後にした。
 誰も居なくなった事務所で、蓮子はブラインドを上げて、朝日を浴びた。そして、窓からメリーの姿を確認すると、こう呟いた。
「知らないほうが、良かったことばかり、何故にこんなに……か」
 鼻歌交じりの呟き。蓮子もまた、出かける準備をし、外へ出た。

 九十九市、住宅街――。

 メリーは依頼人の住む、閑静な住宅地に来ていた。
(住所によると、ここよね……)
 目の前には、一戸建ての家があり、門には表札があった。確認すると、メリーはインターホンを押した。反応があった。
「はい。どちら様ですか?」
 メリーは応えた。
「こんにちは。探偵事務所の者です」
「えっ、探偵? どういったご用件で?」
「すみません。依頼のことなんですが……」
「依頼……? 失礼ですが、何かの間違いでは?」
 メリーは表札と住所を確認し、依頼人に再度確認を取らせた。
「確かに、私のようですが……記憶にありません」
 メリーが驚きと、疑問を持ち始めると、後ろから声がした。
「無駄よ。メリー」
 蓮子だった。蓮子は、そのままインターホンに向かって話した。
「すみません。間違いでした。どうもお騒がせしました。失礼します」
 そういって蓮子は、メリーの手を取って、一目散に退散したのだった。
「ちょ、ちょっと、蓮子。一体どういうつもり?」
 蓮子は淡々とした口調で言った。
「依頼完了よ」
「まだ、何もしてないじゃない。それに、依頼人だって――」
「もう終わったのよ。後は、私達の出来ることじゃない」
 メリーは蓮子の手を解くと、怒りを露にする。
「ちゃんと、説明して!」
「……女将さん《ラーメン屋》の所に行きましょう。話はそこでするわ」
「あのラーメン屋と、何か関係があるの?」
 蓮子はメリーの質問に応えることなく、先へ向かった。
「あ、ちょっと、蓮子ってば。待ってよ」
 メリーは疑問を持ちながらも、二人は繁華街のラーメン屋に向かった。

 ラーメン屋、午後三時過ぎ――。

 ラーメン屋に着くまで、あまり会話をしなかった二人は、そのまま店に入った。
「いらっしゃい。今は営業して……おや、あんた達かい」
 女将は煙草をふかしながら、カウンターでくつろいでいた。
「こんにちは、女将さん。今、時間ある?」
「ああ。構わないよ。今、客が引けたころさね」
 女将は煙草を消して、カウンター席へ二人を座らせた。
「まあ、若いうちは色々あるさ。痴話喧嘩もするだろうし、愛想尽かすこともあるだろう」
 女将の発言に、メリーは怒った。
「だ、誰が痴話喧嘩よ。それに私は蓮子に無理やりここへ――」
「ほら、やっぱり喧嘩じゃないか。馬鹿にするんじゃないよ。あんた達の空気を読めば、わかることさね。伊達に年は食ってないさ」
 女将の言うことはもっともだった。メリーは、珍しく黙りこくってしまった。
 女将は二人に訊ねていた。
「それで、一体何用だね?」
 蓮子は言った。
「ラーメンを食べに来たわ」
「ほぅ……蓮子も言うようになったね」
 蓮子の発言に感心した女将は、すぐさま調理し始めた。
 数分後、本当に女将はラーメンを出した。
「へい、お待ちっ……さて、話してもらおうかい?」
 女将は火を点けずに、咥え煙草で応えた。無論、蓮子達を配慮してだ。
 二人はラーメンを頂くことにした。
 蓮子はラーメンをすすりながら、女将に経緯を伝えた。
「……なるほどねぇ。依頼が無かったことになっていると?」
「まあ、こうなるとは思っていたけど」
 メリーは訊ねた。
「どういう意味?」
「神隠しよ。神隠し。最初にそういった筈よね。それが本当なら、お手上げだって」
「今は貴女の趣味に付き合っている場合じゃないわ。ちゃんと説明しなさい」
 女将は二人にビールを注いだコップを差し出して言った。
「ゆらぎの国のアリス……ってところかい? 厳しいねぇ」
 蓮子はビールを受け取って、一口頂くと、女将に応えた。
「そんなところね」
「ちょ、ちょっと。二人だけで、理解しないでよ。説明して」
 女将はメリーに訊ねた。
「なあ、マエリベリー? 神隠しを本当に理解していないのか?」
 メリーは驚いた。マエリベリーという名で呼んだことを。
「どうして、私の本名を?」
 女将はサングラスを、トントンと指差した。
 COMPと女将のサーチ能力が高いということだった。
「言っただろ。伊達に年は食っていない。それより、どうなんだい?」
「子供やお年寄りが、突然居なくなる現象……よね」
「ご名答。それは、あんたが一番理解している筈じゃないのかい?」
 メリーは一瞬言葉を失った。
「ま、まさか。私と同じ? 境界を越えたの?」
 蓮子はビールを飲み干して、応えた。
「さて、どうかしら? 少なくとも私達は、同じ事件を多数知っているわ。今まで、似たような依頼があったからね」
 メリーは箸を置いて、立ち上がった。
「探しましょう、蓮子。境界を越えたなら、私が――」
 蓮子は立ち上がることなく、瓶ビールをコップに注いで言った。
「そうやって、また犠牲者を出すつもり?」
 ビールを口にして、一息つくと、また蓮子は言った。
「この世界自体揺らいでいるのに、次元跳躍なんてしたら、余計に被害が拡大するわよ。少なくとも、私は多くの被害者を知っているわ。メリー。この際だから言っておく。二度と境界越えをするな。それだけよ」
「わ、わかったわ……ごめんなさい。私の責任よね……」
 しおらしくなったメリーに、女将が声をかけた。
「別にあんたが悪いわけじゃないさ。この世界では、いつものことさ」
「でも……」
「まあ、一杯やりな。世の中には、どうしようもないこともあるさ。それが、全て自分の手で出来るとは、思わないことだね。今回はいい勉強になったと思えばいい」
「はい……」
 蓮子はキャンディーを口にして、メリーに言った。
「勘違いしないで。メリーだって、全ての人を救えたわけじゃない筈よ。自分で思ったことと、成すべきことをするまでよ」
「うん……ごめんなさい、蓮子」
 報告と食事を済ませた二人は、事務所への岐路を辿っていた。
 その道中、メリーがふと疑問を口にする。
「ねえ、蓮子。貴女も被害者ってこと?」
「何が?」
「だって、今までの生活のこと、話してくれないじゃない。もしかして……」
「私は星野蓮子よ。それ以上、それ以下でもないわ」
「どうして、星野なの?」
「そのままの意味よ。この星の下に生まれた。それだけよ」
 メリーは、わざとらしく微笑んだ。
「ふふっ。星の王子様≠フつもりにでもなったのかしら」
「そんなところね。さあ、帰りましょう。ドラマが始まっちゃうわ」
 蓮子が早足になると、メリーは慌てて追いかけた。
「あ、そんなに急かさないでよ」
 メリーは内心思っていた。被害者≠ニいう言葉の重みを。それは、蓮子にも言えることだと。


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2.家族



 GFC探偵事務所――。

「へぇ〜。この人達、別れたんだ。ま、どうでもいいけど」
 蓮子はテレビのワイドショーを見ていた。とある芸能カップルの縺れだということらしい。
 あまり関心をせず、蓮子は遅い昼食を取ることを優先していた。
 そこへメリーが蓮子に訊ねた。
「じゃあ、何で観ているの?」
 蓮子はトーストをかじりながら応えた。
「職業柄よ。芸能人の依頼も、過去にはあったから」
 メリーは驚いた。
「えっ? こんな事務所に、芸能人も来たの?」
 蓮子は少しむくれた。
「こんな、とは何よ。こんなとは」
 メリーは謝罪することなく、答えを催促した。
「一体誰よ?」
 蓮子は仕方なく応えた。
「坪倉ボンド」
 メリーは呆れた。
「はいはい。架空の人物ね」
 蓮子は説明し始めた。
「坪倉ボンド。一部で有名なミュージシャンね。有名曲は『抱いて人斬りさん』『お闇さん』などが有名よ。知らないの?」
 メリーは言った。
「知らないわよ。そんな人。それで、その人の依頼は?」
「本当の自分が何なのかわからない……って、ところかしら」
 メリーはため息をついた。
「来る場所を間違えたみたいね。ここじゃなく、病院を紹介するべきだったわね」
 蓮子は言った。
「だから、適当にあしらったわ。現在は路上ミュージシャンとして、一から出直し中。本人曰く、ここが在るべき姿だ。だとか。依頼料はもらったから、得と言えば得かしら。ちなみに、現在の名前は『下北沢へようこそ』でヒット曲は『コブラのお父さん』ね。今、十六才くらいだったかしら」
 メリーはお手上げのポーズをした。
「やっぱり変人じゃない。まあ、貴女にはお似合いの依頼ね」
 蓮子は思った。
「ひょっとして、妬いてる?」
 メリーは拳を作った。
「なぁに? どういう了見かしら」
 蓮子は文句をたれた。
「何よ。そっちが噛み付いたんじゃない」
 メリーは言った。
「まったく。親の顔が見たいわね。そんな変人」
 何気ない発言に蓮子は言った。
「会ってみる? 親に」
 メリーは呆れながら言った。
「はいはい。会いたくないですよ」
 もう一度、蓮子は言った。
「親に……会ってみる?」
 メリーは疑問を持ち始めた。
「えっ? どういう意味よ」
 蓮子はデスクの引き出しから、書類を出して、メリーに差し出した。
「あなたの親のことよ。ここに来てから、大分経つでしょ。ちゃんと連絡取った?」
 書類を受け取ったメリーは戸惑った。
「い、今更、そんなこと……」
 蓮子はクルリと背を向けて、手を振った。
「じゃ、行って会ってきなさい。心配していると思うわ」
「き、急に言われても……それに、今から?」
 蓮子はキャンディーを口にし、再び手を振った。
「バイバーイ。お土産よろしくね」
 メリーは蓮子の言うことも一理あるので、出かけることにした。
「わかったわ。じゃ、ちゃんといい子にしているのよ」
 メリーはバッグを手にして、出入り口へ向かった。
 蓮子はそれを見届けて、メリーに応えた。
「はいはーい。いってらっしゃーい」
 メリーが居なくなると、蓮子はキャンディーを噛み砕きながら、思っていた。
(家族……か)

 次の日――

 昼過ぎのGFC探偵事務所では、今日ものん気にコーヒーを飲む蓮子がいた。
「う〜ん……たまには、豆を変えてみましょうか。いやいや、拘りを捨てるのもねぇ」
 などと思っていると、事務所の入り口のドアが開いた。
 メリーだった。
「やあ、おかえり。お土産のハトチョーの芋羊羹は?」
 ずかずかと入ってくるや否や、メリーは怒鳴った。
「私の家族はどこよ!」
 蓮子は気にも留めず、こう応えた。
「書類……見たわよね」
 メリーはバックから書類を出して、デスクに叩きつけた。
「ええ! 見たわよ! でも、別人じゃない!!」
 別人……その言葉に驚きもせず、蓮子は書類を調べだした。
「住所や名前、家族構成……どれも間違い無いはずよ」
 それでも口調は変わっていない。しかし、メリーの目には涙が滲んでいた。
「お父さんも、お母さんも、知らない人になってるでしょうっ!」
 蓮子は淡々と言った。
「同じことを何度も言わせないで。顔が違うだけで、中身は同じ。今まで何してたのよ。癇癪起こして、騒ぎまくってた?」
 とうとうメリーは泣き出してしまった。
「そんなわけないじゃない。普通に接したわよ。でも、これも境界を越えた影響だから……」
 蓮子は言った。
「そこまで結論が出ているなら、及第点ね。これが現実よ。あなたの所為とは言わないけど、結果的にこうなったわ」
 メリーは泣くのを堪え、蓮子に訊ねた。
「ええ。ごめんなさい。でも、貴女はどうなのよ……ちゃんと、家族に――」
 次の瞬間、デスクに書類を叩きつけて、蓮子は怒鳴った。
「その質問はするな!」
「れ、蓮子……?」
 取り乱した蓮子だったが、すぐさま落ち着いた口調で言った。
「ごめんなさい。悪かったわ……悪いついでに、今日はこのまま引き取ってもらえると助かる」
 メリーは黙って頷いて、そのまま事務所を後にした。
 蓮子は書類をしまいながら、自分の言動に腹を立てていた。
(まだ……拘りを捨てられない……か)

 また、次の日――

「やっぱり、豆を変えるべきじゃなかったわね」
 蓮子は日課のコーヒーを飲んでいたが、一口だけ飲むと、流しへ捨ててしまった。
 どうやら、コーヒー豆を変えたが、口に合わなかったらしい。
 そのまま蓮子が片付けをしていると、玄関からチャイムが聞こえた。
 慌しくその場を後にして玄関に向かった。
「はい。どちらさん……って、メリーじゃない。どうしたの?」
 メリーはそのまま入るや否や、ソファに座った。
 蓮子は疑問を持ちながら、向かいのソファに座った。
「んん〜? どういうこと?」
 メリーはようやく口を開いた。
「家族って……何かしら」
 蓮子は少し、ムッとする。
「その話はするなと、言った――」
「私が、家族になってあげる」
 思いがけない、メリーの発言に、蓮子は驚いてしまう。
「どういう意味よ?」
 メリーは淡々と応えた。
「だって、身寄りの無い貴女を、野放しにしたら、これ以上何されるか、分かったものじゃないわ」
 蓮子は言った。
「私は猛獣か何かかっ?」
 メリーは続ける。
「因みに住民票はこっち。婚姻届もあるわ」
 メリーはバッグから書類を取り出して、テーブルに並べた。
 蓮子は呆れた。
「はぁ……これだから、お嬢様は困る。ハードボイルドの何たるかを知らない。私にそんなもの要らないわよ」
 蓮子は用紙を取り上げて、破ろうとすると、メリーは言った。
「それは見本よ。本物はこっち。破っても無駄なんだから」
 蓮子は忠告する。
「何故そこまで? この世界じゃ、無意味に等しいわ。それに、また次元の歪で、お互い離れ離れってことも……」
 メリーは微笑んだ。
「じゃあ、今は夢の中? それとも現?」
 蓮子は言った。
「そのどちらでもない……って所かしら」
 メリーはバッグから新しい用紙を出して、蓮子に渡した。
「これは貴女に預けるわ。本当に必要が無かったら、破り捨てても構わないから」
 蓮子はそれを受け取ると、そのまま金庫へ向かった。
「こんな大事なもの、受け取れるわけないじゃない」
 蓮子はそう言って、金庫へ婚姻届を閉まった。
 それを見たメリーは、笑っていた。
「ふふっ。臆病者なんだから」
「何とでも言いなさい。ま、ここにいる以上は、私が面倒見てあげるわ」
「はいはい。それじゃ、改めてよろしくね。星野蓮子さん」
「ああ。よろしく、メリー」
 二人は、この世界での小さな契りを交わしたのだった。

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仮初の探偵 -誕生編 ACT03-